改訂新版 「維新語録 龍馬めくり」 日めくり 壁掛け 万年カレンダー

改訂新版「維新語録 龍馬めくり」日めくり 壁掛け 万年カレンダー

縦30 横15 表紙含む全32ページ 1部2000円

京都龍馬会で20年前に販売しておりました「維新語録 龍馬めくり」を改訂致しました。
シンプルで飽きのこないデザイン、壁掛けハンガー付Wリング製本とし耐久性を増し、内容を改訂、出典も明記致しました。
表紙写真:高知県立坂本龍馬記念館提供

内容、出典
1 八月一日の夕方坂本が帰つてきました、で金蔵寺の住職智息院が仲人となつて本堂で内祝言をして始めて、新枕幾千代迄もと契りました
反魂香(第2回)安岡秀峰 雑誌『文庫』明治32年4月20日発行

2 君は男ぶりがよいから女が惚れる。僕は男ぶりは悪いが、やっぱり女が惚れる。
千里の駒後日譚拾遺 第1回 川田瑞穂 『土陽新聞』 明治32年

3 人間と云うものは、世の中の牡蠣殻の中に住んでおるものであるわい。おかしおかし。
坂本龍馬書簡 慶応3三年4月初旬 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

4 今年正月二十三日夜の難にあいし時も、この龍女が居ればこそ、龍馬の命は助かりたり。
坂本龍馬書簡 慶応2年12月4日付 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

5 表に御記なされ候六条は、小、西、両氏及老兄、龍等も御同席にて談論せし所にて、毛も相違無之候。後来といへども決して変り候事無之は、神明の知る所に御座候。
坂本龍馬書簡 慶応2年2月5日付 木戸孝允宛(裏面朱書)(宮内庁 木戸家文書)

6 小弟は蝦夷に渡らんとせし頃より、新国を開き候は積年の思ひ一世の思ひ出に候間、何卒一人でなりともやり付申べくと存居申候。
坂本龍馬書簡 慶応3年3月6日付 印藤肇宛(京都大学附属図書館蔵)

7 龍馬の名乗りの直柔と云ふのは後に換へた名で初は直蔭と云ったのです。伏見で居た時分に、直蔭は何日迄も日蔭者の様でイケないから直柔と換へると云って換へました。
千里駒後日譚 第6回 川田瑞穂『土陽新聞』 明治32年

8 天下に事をなすものはねぶともよくよくはれずては、はりへはうみをつけもふさず候。
坂本龍馬書簡 元治元年六月二十八日付 坂本乙女宛(高知県立高知城歴史博物館)

9 私の名ですか、矢ツ張り龍馬の龍の字です。初めて逢つた時分お前の名のりよふは何う云ふ字かと問ひますから斯く斯くと書いて見せると、夫れではおれの名と一緒だと笑つて居りました。
千里駒後日譚(第6回) 川田瑞穂『土陽新聞』 明治32年

10 土佐の芋堀りともなんとも言われぬ居候に生れて、一人の力で天下を動かすべきは、これまた天よりする事なり。
坂本龍馬書簡 文久3年6月29日付 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

11 大兄御事も今しばらく命を御大事になされ度、実はなすべきの時は今にて御座候。やがて方向を定め、シユラか極楽か。
坂本龍馬書簡 慶応3年11月11日付 林謙三宛(高知県立歴史民俗資料館蔵)

12 国を開くの道は、戦いする者は戦い、修行する者は修行し、商法は商法で銘々かえりみずやらねば相成らず。
坂本龍馬書簡 慶応3年5月5日付 三吉慎蔵宛(上田 三吉家文書)

13 実に、お国のような所にて、何の志も無き所に、ぐづぐづして日を送るは実に大馬鹿者なり。
坂本龍馬書簡 慶応元年9月9日付 坂本乙女・おやべ宛(京都国立博物館蔵)

14 坂本龍馬なるものは決してぬすみかたりは致さぬ者なれども、此者がありては徳川家の御為にならぬと申て是非殺す様との事のよし。此故は幕府の敵たる長州薩州の間に往来して居との事なり。其事を聞多る薩州屋敷の小松帯刀、西郷吉之助なども皆、大笑にてかへりて私が幕府のあわて者に出逢てはからぬ幸と申あひ候。
坂本龍馬書簡 慶応2年12月4日付 坂本権平・一同宛(高知 弘松家文書)

15 龍馬の生れた日ですか、天保六年の十一月十五日で丁度斬られた月日と一緒だと聞ひて居るのですが書物には十月とあります、どちらが真だか分りませぬ。
千里駒後日譚 第6回 川田瑞穂『土陽新聞』 明治32年

16 世の人は われをなにともゆはゞいへ わがなすことは われのみぞしる
坂本龍馬和歌(京都国立博物館蔵)

17 日本を今一度せんたくいたし申候事にいたすべくとの神願にて候。
坂本龍馬書簡 文久3年6月29日付 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

18 人間の一世は合点のゆかぬは元よりの事、運の悪い者は風呂より出でんとして、金玉をつめわりて死ぬるものもあり。
坂本龍馬書簡 文久3年3月20日付 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

19 是より、もうつまらぬ戦はおこすまい、つまらぬ事にて死ぬまいと、たがいに固く約束いたし候。
坂本龍馬書簡 慶応元年9月9日付 池内蔵太家族宛(個人蔵)

20 私などは、運が強くなにほど死ぬる場へ出ても死なれず、自分で死のふと思ふても又生きねばならん事になり。
坂本龍馬書簡 文久3年3月20日付 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

21 恋は思案の外とやら あなど(長門)のせとの稲荷町 猫も杓子も面白ふ 遊ぶ廓の春景色 ここに一人の猿廻し 狸一匹振り捨てて 義理も情けも無き涙 他に心はあるまいと かけて誓いし山の神 家にいるのに心の闇路 探り探りて 出でて行く
坂本龍馬書 俚謡(下関 梶山家蔵)

22 人誰か父母の国を思はざらんや。然るに忍んでこれを顧みざるは、情の為に道にもとり、宿志の蹉跌を恐るるなり。
坂本龍馬書簡 慶応2年11月 溝淵広之丞宛(土佐山内家宝物資料館蔵)

23 異国船処々に来り候由に候へば、軍も近き内と奉存候。其節は異国の首を打取り、帰国可仕候。
坂本龍馬書簡 嘉永六年九月二十三日付 父坂本八平直足宛(「坂本龍馬関係文書第一」、野島家文書)

24 天下の世話は実に大雑把なるものにて、命さえ捨てれば面白きなり。
坂本龍馬書簡 慶応2年12月4日付 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

25 わが為めに尽し候所、すなわち、国家に尽す所たるや明かなり。
坂本龍馬書簡 慶応2年10月5日付 吉井友実宛

26 あまりにも両方へはなが高く候まゝ両人が両方よりはなおさへてヱイヤと引ぬき候時はわずか四五尺ばかりのものにて候間又〻本の通りおさめたり。
坂本龍馬書簡 慶応2年12月4日付 坂本乙女宛

27 西郷、大久保越中の事、戦争中にもかたほにかゝり一向忘れ不申、若しや戦死をとげ候とも、上許両人の自手にて唯一度の香花をたむけくれ候得ば、必ず成仏致し候こと既に決論の処なり。
坂本龍馬書簡 慶応3年8月下旬 佐々木高行宛(野島寅猪文書)

28 そして小弟をして海援長と致し、諸君其まゝ御修業被成候よふ、つがふ付呉候。
坂本龍馬書簡 慶応3年4月28日付 菅野覚兵衛・高松太郎宛(野島家文書)

29 私が死ぬ日は天下大変にて、生きておりても役に立たず、おろんとも立たぬようにならねばなかなかこすい奴で死にはせぬ。
坂本龍馬書簡 文久3年6月29日付 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

30 一戦争済めば山中にはいって安楽に暮らすつもり、役人になるのは俺はいやじゃ。
千里駒後日譚 第4回 川田瑞穂『土陽新聞』 明治32年

31 この文は極大事の事ばかりにて、けしてべちゃべちゃシャベクリには、ホヲホホヲいややの、けして見せられぬぞへ。
坂本龍馬書簡 文久3年6月29日付 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)
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